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健康に対する信念は変えにくい

[2018.05.10]

かつての東京都知事がテレビ番組で、血糖値が高いことや喫煙(電子タバコ)などについて医師とやりあったということが話題に上っていました。後日彼はツイッターで「血糖値は多少オーバーするぐらいなら安定していれば問題はない」「怖いのは突然失神する基準値以下の低血糖です。運転中の事故にもつながります」と発信しているようです。
番組を見てはいないので詳しいやりとりはわかりませんが、おそらく医者がとやかく言うことに対し耳を貸さなかったのでしょう。言うまでもないことでしょうが、血糖値が高めであることや電子タバコはともに健康を害します。それは科学的に示されている事実です。またこのことと低血糖は全く別の議論です。(おそらくはそのこともわかっていて議論を差し替えようとしたのでしょう。)しかし今回のことをことさら非難するつもりは毛頭ありません。
彼ほどのインテリジェンスがある人がこの程度のことを理解できないはずはありません。しかし結果的に科学的データや専門家の意見に背を向けてしまっています。このようなことは彼に限らずいろいろな人や場面で見られます。例えばワクチン。いまだに少なからぬ人がその効果を疑問視し、人によっては体に良からぬこととさえ捉え、接種しなかったり子どもに接種させなかったりする人がいます。また高血圧についても独自の理論や、一部の偏った(非科学的な)意見を拠り所に、かたくなに治療を拒む人がいます。その一部は理解不足によるものですが、大半は科学的な証拠を教えられても態度は変えないとされています。つまりインテリジェンスの問題ではないようです。
なぜそのようなことが起こるのでしょうか。一つには、医者になど言われたくはない、という心理です。鼻につくような医者が多いということもあるのでしょうが、自分のことは医者よりも自分の方がわかっている、医者だって人間だから間違いを犯す、といった思いから、医者の言うことは全く信用しないという人もいます。
もう一つの大きな要素は信念とか信条とよばれるようなものです。これはある考え(例えばワクチンは無効である、とか)が、家族や友人、住んでいる場所や宗教といった自分を取り巻く環境によって出来上がっているというものです。その場合、その考えの否定は自分と周囲の関係性まで否定されると感じることに繋がります。またその考えを変えるには周囲にも影響が及び、場合によっては今ある関係性を壊すことになりかねません。そのため今の考えを否定するような科学的証拠を教えられたからといって、考えを変えるということはなかなか起こりません。「お医者さんは一般論での正解を述べます。それはそれで傾聴に値しますが、自分の体調については自身の判断も大切です」という彼の言葉にはこれらがよく表れています。
単なる知識の不足で誤った考えを抱く人もいます。そういった人にきちんとした情報が提供できると、すんなりと意見の修正ができることがあります。そのためにも専門家と言われる人たちは、その知識を惜しみなく提供できる準備は常にしておくべきなのでしょう。また他人の知恵を借りながら柔軟に生きることも大切なようです。

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