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なぜ英語を勉強するのか?(喋れるようにならないのに笑)

[2020.07.01]
私たちの多くは中学・高校で合計6年間も、望むと望まざるとに関わらず英語を勉強してきたはずです。その結果、今は日常会話程度ならスラスラ話せます、ということにはならず、せいぜい英語での数字や曜日がわかり、「I have a pen~♪」というギャグが理解できるという程度です。普通は何年か真面目に語学を学ぶとある程度喋れるようになることが多いため、日本の英語教育は全くの無駄なのでは?、という批判もあちこちで聞かれます。早く始めればそれだけ有利なのではということなのか、近年では小学校でも英語の授業が必ずあるようですが、一部の英語好きを大多数の英語嫌いな子を作って終わっているようです。また、学んだはずなのに習得できていないということに端を発しているのかもしれませんが、英語が話せないことに引け目を感じる人も多く、英会話教室にたくさんお金を払って一時の心の安らぎを求める人も多くいるようです。(この点ではスポーツジムとも似ていますね・・・入会⇒安心⇒行かなくなる)。

英語を話せるようになることだけが目的なのであれば、英語教育は時間の無駄ということになりますが、決してそうではありません。言葉は人に何か伝えようとするときにとても便利なものです。それだけでなく私たちはモノを考えたり判断したりする時、言葉を使って行います。言葉は単なる意思伝達の道具というだけでなく、モノの考え方や認識の仕方にも大きく影響します。つまり母国語以外の言語を学ぶということは、自分が所属していない文化でのモノの見方や考え方に触れることでもあり、これはその人の思考や人生を豊かにするものなのです。

子どもの頃からの外国語教育を含めた様々な頭のトレーニングは、人生に深みを増し、時には受験や人に知識をひけらかすのに役立つこともあるでしょう。それだけでなく、最近の研究では老年期のアルツハイマー型認知症も減らすことが示されています。長年英語を学んだはずなのに読めも話せもしないと挫折感に打ちひしがれる必要はないのです。そう、無駄ではなかったのです!(と自分に言い聞かせているところ笑)

ところで言葉がなかったとしても、きっとそれに代わる「何か」で意思伝達を行い、文化を発展させることはできるのでしょうね(例えばアリが喋ることはないと思いますが、あのように統制の取れた社会を長年営んでいる)。しかし文字を発明したことで、記録を残せるようになり、世代を超えての情報の伝達が量の面でも質の面でも飛躍的に進歩したのでしょう。そんな話を子どもにしたら、「そんな発明のおかげでこっちはやらなければいけない宿題が増えたのだ」と嘆いていました。
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