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好き嫌いは悪いこと?

[2025.12.19]
好き嫌いせずに何でも食べる元気な子
給食は残さず食べよう
小学校にこんなような標語が張られてたことを今でも何となく覚えています。どこの学校にも似たようなものがあったかと思います。最近はもうさすがにないのかと思ったら、今でも好き嫌いするなとか、残さず食べろとか言われているのですね。
学校給食はバランスのとれた食事を毎日提供している、とても素晴らしいものです。たとえバランスが悪かろうと、お弁当を作って持たせなくていいというのは、何にも代えがたいものと言っても過言ではないでしょう。給食室の方々、感謝してます!
好き嫌いに対する指導の歴史は長いようで、1952年の小学校の学習指導の指針に「好き嫌いなく食べる」「偏食の害を知って好き嫌いなく食べる」という文言が盛り込まれています。その10年後の給食指導の手引きを見ると、「嫌いなものは初めは量を少なくし、だんだん増量して、知らず知らずのうちに慣れさせる」などと冗談みたいな記載が追加されています。1970年代になると、「好き嫌いの強い児童は教師の指導や態度に影響されやすいし、学年が進むといっそう矯正し難くなるので、低学年のうちから互いに励まし合って、自然に好き嫌いをなくすように指導する」というように、自然にとは言いつつも強制する色合いが強まってきます。
1980年代になると、「調和のとれた栄養摂取に自ら務める態度を育て、嫌いな食物をも進んで食することができる、いわば食事に対する自己管理能力を育てる」となっており、好き嫌いが本人の自己管理能力のなさの問題であるかのように書かれています。
好き嫌いと自己管理能力。確かにクリントン元大統領はファーストフード大好きのようですが、自己管理能力のなさが祟って辞任に追い込まれています。でもそれを言ったらオバマ元大統領だってファーストフードは大好きだけど、自己管理能力が欠如しているとは誰も思わないでしょう。好き嫌いがその後の人生の社会的な面で、それほど大きな悪影響を及ぼす心配はないのではないでしょうか。トランプ大統領に至っては、マクドナルドとケンタッキーとステーキとドリトスとダイエットコーラぐらいしか食べていないと言われているので、好き嫌いしていても少なくともアメリカの大統領ぐらいにはなれそうです。自己管理能力はさておき。
話は給食に戻って。この頃から、バランスよく食べることが大切、という文言が入り始めます。「自分の食生活を振り返り、栄養の面でどうして偏っているのか」などについて児童に十分考えさせ・・なんて書いてありますが、そんな言葉を突き付けられ、ドキッとしてしまうのは私たち大人の方でしょう。また、それまで好き嫌いや肥満を個人的な問題として詰る雰囲気が満ち溢れていましたが、人権に配慮し、行き過ぎた指導をけん制するという文言も見られ始めます。時代ですね。
2000年代に入ると、食育という言葉が加わります。これもまた時代と言えるでしょう。しかし、その言葉が冒頭に書いてあるだけで、中身は結局のところ、好き嫌いせずに、バランスよく、ということに終始しています。食育という言葉は入れたいけど、意味が分からないまま書いてしまった感は否めません。そこから現在に至るまで、内容はほとんど刷新された感じはありません。学校給食界隈はいまだに戦後を引きずっているようです。
そんな学校給食にも朗報が。ようやく公立小学校の給食が無償化されようとしています。この法案に表立って反対するような人はあまりいないと思うのですが、なぜかだいぶ時間がかかりました(きっと財源の問題が大きいのだとは思いますが)。いいじゃないですか、未来ある子どもたちにお昼ご飯ぐらいタダで食べさせてあげて。子どもへの投資は、国として無駄になることはないはずです。
ちょっと心配なのが、勘違いした先生が「お前らタダで飯食わせてもらってるんだから、残すんじゃねーぞ。好き嫌いなんかもってのほかだ!」なんて言わないかというところ。もちろん食は学習が必要なことですし、フードロスの問題にも向き合っていかなくてはいけませんが、嫌いなものでも、お腹いっぱいでも、ムリして口に詰め込めというのは教え方として正しくありません。カレーやラーメンみたいな人気メニューは完食率が高いでしょうが、無理矢理作り出した何料理かわからないようなものは食べてもらえないでしょう。子どもたちもいつも同じように食べられるわけではなく、好き嫌いだけではなく体調によっても食べる量は毎日変わるはずです。それに人気メニューだって嫌いな子は必ずいます。食が細い子なんかは、残さずに食べるのが当然というプレッシャーと日々戦わなくてはならず、給食は苦痛でしかないのかもしれません。
ヒトの味覚はおおよそ同じようなもの、と先生たちが考えているのであれば、子どもたちとの溝は埋まらないでしょう。子どもは大人より味に敏感である上、食の経験が少ない分、大人よりも苦手なものは多くなります。新しい味に馴染むのにも時間がかかるでしょう。それに、どうあっても受け入れがたい味や食感というものも存在します。これは他人には理解しがたいものです。そのことがわかっていないと、食育という大義名分のもとに、「少しでいいから食べろ」「頑張って食べろ」ということになります。しかしその行為は、(その食べ物と先生に対する)さらなる嫌悪と苦い記憶以外何も生みだしはしないでしょう。(特にクリスマス特別メニューで出るケーキを「給食全部食べないと食べちゃダメ」とか言うのは本当にやめてほしい)
アメリカで大統領だったブッシュ親子は、親子ともブロッコリー嫌いで有名でした。父の方は「アメリカの大統領になったのだからもう一生ブロッコリーは食べないもん!」と宣言し、ブロッコリー農家からホワイトハウス宛にブロッコリーを大量に送り付けられています。しかしおそらくこれはただの好き嫌いの話ではありません。ブロッコリーの苦みを感じる・・と読んだ時点で「苦味あるっけ?」と思う人もいるはずです。そうなんです。この苦味を⓵めっちゃ強く感じる⓶ちょっとだけ感じる⓷ぜんぜんわかんない、という3つのタイプに人は分かれるのですが、これは遺伝子が規定しているのです。⓵の人は、「ちょっとだけ食べなよ」と言われても、「こんなもの人間の食うもんじゃねーよ」と心の中で毒づいているはずです。それをパパブッシュは声高らかに言い切っただけの話で、彼が努力と辛抱の足りない人だというレッテルを張るのは大きな間違いです。
でもさ、好き嫌いしててもアメリカの大統領にはなりたくないんだよ。そんな子どもたちの声が聞こえてきそうです。確かに今の小学生のなりたいものランキングには、会社員、パティシエ、ユーチューバーなどが挙がっていますが、合衆国大統領は残念ながらランクインしていません。でもがっかりするのはまだ早い。最近知ったのですが、将棋の藤井君はキノコが大の苦手なのだとか。小さく刻んであればどうにか食べられなくもないけど大きいのはちょっと・・とどこかの記事で言っていました。好き嫌いがあっても、あんなに頭の切れる棋士になれるのですよ。ね、合衆国大統領よりはるかに憧れるでしょ。
小学校に通う次男はよく給食の報告をしてくれます。「今日は美味しかったから3回もおかわりしちゃった」という日もあれば、「今日はそうでもなかった」なんて日もあり、もちろん「すげーマズいものが出た」という日も。「全部食べたの?」「いや、むり。だって〇〇ちゃんなんて吐いてたよ!」と、臨場感あるれるレポートをしてくれます。
そんな小学生と我が家で食卓を囲んでいた時のこと。私の作った夕飯を無言で食べていたから、「どう?美味しい?」と聞いたら、「うん、まあまあ。給食のちょっと下」うーん、解釈が難しい!
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